2008年11月15日
ジャンニ・ヴェルサーチ(Gianni Versace)
ジャンフランコ・フェレ、ジョルジオ・アルマーニ、そして・・・
そう、ジャンニ・ヴェルサーチ。
ミラノモードの3Gの一角を担い、スーパーモデルの火付け役となったヴェルサーチのショーにはオペラが流れ、官能的で、先進的でありながら、そこには古典の香りが漂っていました。
ジャンニ・ヴェルサーチ(Gianni Versace)
1946年、イタリア、レッジオ・カラブリアでブティックを経営する母親の元に生まれ育ったジャンニ・ヴェルサーチは、幼くしてモードに獲り付かれ母の元からミラノへと旅立ちます。
ミラノでのジャンニ・ヴェルサーチは、カラガン、ジェニーとキャリアを重ね、マリオ・ヴァレンティノの皮革部門のデザイナーを経験した後、コンプリーチェでレザーウェアを手掛けます。
1978年、ジャンニ・ベルサーチ独自のデザインとして初のレディースおよびメンズのコレクションをミラノで披露したジャンニ・ベルサーチは、その新素材と天然素材の巧みな融合、モダンとクラシックの同居性を最大限の賛辞を持って迎えられることになりました。
また、この年、兄のサントを社長としてジャンニ・ヴェルサーチ社を設立して、ミラノのスピーガ通りにジャンニ・ベルサーチ1号店となるブティックをオープンします。
1981年にはジャンニ・ヴェルサーチブランドの香水を発表し、翌1982年にはイタリア婦人服デザイナーとして最高の栄誉ゴールド・アイ(キッキオ・ドーロ) 賞を獲得します。
さらに翌1983年、ニューヨークのカティ・サーク賞を受賞、とその才能は一気に花開くこととなったのです。
世界中にデザイナーとしてその才能を認めさせたジャンニ・ヴェルサーチは、1990年、満を持してパリの高級ホテル、リッツで初のオートクチュール・コレクション「アトリエ・ヴェルサーチ」の発表し、大成功を納めたジャンニ・ヴェルサーチは、以降数々のブランドラインを展開し、ライセンスも含め順調に拡大の一途を辿ります。
しかし、およそ20年と言うブランドとしては余りに短い期間でありながら頂点を極めたかに見えた、1997年7月15日マイアミのサウスビーチで凶弾に倒れることとなってしまいました。
ジャンニ亡き後、ジャンニ・ヴェルサーチ社は、1993年に子供向けの「ヴェルサーチヤング」を立ち上げた妹のドナテッラ・ヴェルサーチに1998年シーズンからを託すこととなりました。
当初ドナテッラを不安視した声があったようですが、オペラに包まれた兄ジャンニ・ヴェルサーチのファッションに対し、ロックをメインとした現代音楽に包まれるドナテッラ・ヴェルサーチのファッションは、よりセクシーで官能的要素が加わったと評価され、現在ジャンニ・ヴェルサーチ社の全てのブランドを統括するチーフデザイナーとなっています。
現在のジャンニ・ヴェルサーチ社のブランドライン


